それなりに楽しかった空き家探し
自宅は任意売却手続きへ
父と弟は長年一緒に仕事をしていた
泊まりがけの仕事が入り他県に出ていた現場で弟が大怪我をし、一ヶ月の入院を要することになった
その事がきっかけなのか、急に父が仕事へ行かなくなり何も言わず籠る日々
住宅ローンは、今まで以上に持ち堪えることは無理だと母から家を手放すことにしようと父へ持ちかけた
元々ずっと苦しい生活状況が続いていて日々不安が多かったから特別驚きはなかった。
家を手放すことになって、暫くは手続きに追われていた父と母
任意売却手続きへ移ってそれほど変化はなかったけれど、一度だけ内見したいと問い合わせがあっただけで結局、内見までには至らず時は過ぎていった
どうせ引っ越すなら方角が気になるなぁ〜と思いネットで調べる日々。
引っ越すとしても、ただ空き家を探す他は無く方位を決めれば絞りやすいのと方位のヤバさが分かると闇雲に探すのは怖いと思うようになっていた。
自宅は任意売却手続きに入り順調に進むかと思っていた
この頃から母は体調が優れず寝込む日々が続き
夏になる頃、父の車で近くの診療所へ行くと大きな大学病院へ緊急搬送されその日のうちに緊急手術となって三ヶ月の入院生活が続いた。
この時は、家のことより母の体調と目の前の今日を考えることしかできなかった
何気なく過ぎる日常では、夕暮れはとても美しく感じれたのに
一人で明日どうなってしまうか分からない状況では押し潰されるほど切なかった。
激動過ぎた一年
秋になり、無事母が退院できた
母は、三ヶ月に一度の通院に
体力を付けていくことと引っ越しへ向けて家の片付けを一緒にできることが楽しかった
この頃、弟は父と一緒にしていた仕事先でお世話になっていた
当初、弟とは電話で話していると
「俺しか居らんやろ」
などと空き家探しと同時に近所で見つけた空き家バンクでの賃貸物件の内見に付き合ってくれようとしていた
だけど時が経つにつれ、言うことがまちまちで、わが家の事情を事細かく聞いてきていたことに母は疑問に感じ、何でそこまで根掘り葉掘り聞いてくるのか問うと、はぐらかす弟に忠告していた母。
弟は、どちらかというとそんなに家のことを聞いてきたこともなくアルバイトの面接(履歴書の書き方)でさえ
「大丈夫か」
と思うほどの幼稚さがあり手を焼くほどだった。
散らかっていた弟の部屋を母と二人でせっせっとゴミ出し、後の大きな家具はどうするんだろうと
母の病気と家のことで弟になどかまけていられなかった
年の暮れ、勤務地が遠く間借りしていた家へ引っ越して行った
年が明け本格的に家探しを開始
家探しは年が明け、この時は東方位を探そうと母と一致していた。
不動産屋さんも東方位にあった小さな所へ当たろうと思っていた。
父は、関係なく手当り次第、国道沿いの不動産屋さんにも足を運んでいた。
不動産屋さんに行きながらも父が空き家らしい家を車で走りながら探す日々。
母は、地図を持ちながら東方面に行ってもらうように父へ持ちかけ、その方位は山と田んぼに囲まれるような地域で、古い家や人気の無さそうな家もあった。
その中の一軒。
人の気配がなく周りは草木が鬱蒼としている築年数の古そうな家があり、登記で調べると登記欄は記載されているものは全くなく、父は、その家を国道沿いの不動産屋さんに声をかけてみた。
数日して、その不動産屋さんから
「あの〜あの家に住まわれるのは無理かと」
理由は
玄関の裏側は屋根が落ち、床もぬけている状態だったと仰られ、交渉どころかすぐに取り辞めざるを得なかった。
でも玄関からは空き家ではもったいないくらいの景観。

その玄関は、北向きで目の前は山だったけれど、山と言ってもそびえ立つ山ではなく開拓されて上には小学校もあった。
裏は、大木で覆われていた状態でも、とても日当たりがよく南側は川になって、なだらかな傾斜があり見晴らしが何よりも良かった。川と2車線の道路を挟んで向こう側は新興住宅地ができていた地域。
偶然に見つけた住宅の事情
父と母が車で周辺を回り空き家らしい家を探す。
私はGoogleマップで草木に覆われている手入れが入ってなさそうな家を探していたところ(上記での、お家も上空写真で見つけた一軒)
父が
「空き家らしそうな家を見つけたけど」
と言う家が丁度、私もGoogleマップで見ていて良さそうな家だなと思っていた、宅地と一致していてびっくり。
しかも、その家の登記をインターネットの『登記情報提供サービス』で取り寄せてみたところ競売にかかっている最中の物件だと判明。
金額に驚愕した。
参考:登記情報提供サービス
引用元:登記情報提供サービス/一般財団法人 民事法務協会(2025年02月24日)

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